日あたりてまことに寂し返り花 日野草城。「返り花」は、帰り花とも書き、狂い花、狂い咲きともいう。風が肌寒く感じられ一枚多く着込むようになった日日の、晴れの日が続いたある日、葉を落とした木々の中に一本花をつけている木がある。それは桜かもしれない。その花を見つけた時日野草城は、「まことに寂し」と呟いた。数として「寂し」ということはある。己(おの)れの意思ではなく、日の光の力に従って咲いた健気(けなげ)さを「寂し」く思ったのかもしれぬ。が、健気さと「寂し」さとの間にはやや隔たるものがある。返り花翳は地よりも空にあり 大野林火。返り花の咲く辺りがさっと翳ったのは、太陽が雲の後ろに隠れたからだ。薄日とは美しきもの帰り花 後藤夜半。雲の間から漏れた光が、あるいは薄く雲のかかった日の光が「美し」く見えるのは、地上の「帰り花」を照らしているからだろう。雲によって抑えられた日の光は狂い咲く花への慈悲のような慮(おもんばか)りだ。帰り花散って重なることもなし 山本淑子。「帰り花」は散った花片が地面で重なるほど咲かず、散ってしまえば花片は瞬く間にかき消え、夢まぼろしのようである。その「帰り花」と見紛(みまが)うような桜がこの時期に咲く。十月桜返り花より淋しけれ 松尾隆信。北野天満宮の北裏の、平野神社の十月桜が花をつけていた。平野神社は桜の名所である。三月の末には満開となって夜も明かりが灯される桜の木は、根元の草の上に紅く染まった無数の葉を落としていて、十月桜はその外れに一本、本殿の前に一、二本細い幹の細い枝の先に桃色まじりの薄く白い花片の小さな花をつけていた。十月桜は人の手で作られた花であるから野山には自生していない。エドヒガンとマメザクラがその親で、九月の終わり頃から翌年の四月までぽつりぽつりと花をつけるのだという。この花が「返り花」より「淋し」いのはなぜであろうか。紅く色づいた葉を落とした仲間の傍らで、その一本だけ枝に花をつければ「返り花」と呼ばれるが、狂い咲きと指をさされもする。十月桜は狂い咲きと見紛うように咲く花である。ぽつぽつと花をつける様は華やかでなく、「淋し」い。が、「淋し」いと思っているのは花を見る人である。十月桜の「淋し」さをこの世に生んだのも人である。わが生れ月の十月桜かな 鷹羽狩行。

 「そこには一日じゅう、暗い木陰があったし、なにか名も知らぬ花が咲いていた。どんなことをしても怒らない犬がうろついていたり、無数の輪を描いた自転車のタイヤの跡と、ひきずって歩く足のために芝がはげて、茶色い地面がむき出しになっていた。二百フィートほど離れた崖下には、むさ苦しいほど貧乏な「アイルランド野郎」どもが住んでいた。」(「スキャンダル探偵」F・スコット・フィッツジェラルド 渥美昭夫訳『すべて悲しき若者たち』荒地出版社1981年)

 「第1原発の処理水に「放出口」設置 沖合1キロ、海底トンネル終点」(令和4年11月19日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲)