2021-01-01から1年間の記事一覧

氷店の一卓のみな喪服なる 岡本眸。天麩羅屋でもなく鮨屋でもなく、喪服を着た者らはかき氷を匙で掬って口に入れている。喪服を着ていても腹はへり、腹がへれば飯屋へも入る、がこの者らは喪服姿でかき氷を啜っている。夏のある日葬式か法事の帰り道で軒先に…

水上勉に「椿寺」と題する一文がある。「椿寺は京都の北区一条通西大路東入ルの地点にある。大将軍西町というのがいまの町名になっているが、天神川からわずか西へいった南側に小さな瓦屋根の門があり、石畳の参詣道からすぐ墓地につき当る手前右手に、こぶ…

糸桜こやかへるさの足もつれ 芭蕉。ゆき暮れて雨もる宿や糸桜 蕪村。影は滝空は花なり糸桜 千代女。糸桜下の方より咲きにけり 正岡子規。糸桜夜はみちのくの露深し 中村汀女。また風が鳴らす卒塔婆糸桜 皆川盤水。遠ざかるほど糸ざくら風の見え 阪上多恵子。…

「七人の遊仲間(あそびなかま)のそのひとり 水におぼれてながれけむ。 お芥子(けし)の頭(かみ)が水の面(も)に うきつしづみつみえかくれ。 「よくも死人をまねたり」と 白痴(ばか)の忠太は手をたたく。 水にもぐりて菱の実を とりにゆけるとおもひ…

平成二十一年(2009)、創刊九十年のキネマ旬報が撰んだ日本映画オールタイムベストテンの七位に山中貞雄が監督した『丹下左膳余話 百萬両の壺』が入っている。一位以下はこうである。一位、小津安二郎『東京物語』、二位、黒澤明『七人の侍』、三位、成…

初めて曲がる曲がり角の道のその先の小道が行き止まりであるかもしれぬことは用心をしていても起こり、その小道が思わずも知った道に通じていたということもあるのであるが、太秦広隆寺の手前の三条通を南に曲がって初めて入った狭い住宅道の行き止まりとな…

橋早春何を提げても未婚の手 長谷川双魚(はせがわそうぎょ)。たとえば、「早春に」、あるいは「早春の」、何を提げても未婚の手、とすれば、調子は滑らかになり、早春という季節の未婚の、恐らくは女の手の瑞々しさはすっきりする。が、長谷川双魚は、頭に…

車谷長吉に「三笠山」という短篇小説がある。己(おの)れの商売が行き詰まり、一家四人で心中をする話である。京都大学医学部に合格したその日に父親が二人死亡の交通事故を起こしたことで、男は進学を諦めて建材会社に入り、後に独立し、高校の同級生で子…

一休さん、一休宗純(いっきゅうそうじゅん)は第百代後小松天皇の落胤(らくいん)として洛南京田辺の酬恩庵、一休寺にある墓は宮内庁によって管理されている。一休宗純の弟子没倫紹等墨斎が書いたという『東海一休和尚年譜』には、酬恩庵で迎えたその最後…

油屋にむかしの油買ひにゆく 三橋敏雄。俳句は季語を使って詠むものであり、そうでないものは俳句ではないとする者がいるが、この俳句には季語がない。「油屋に」「買ひにゆく」ものは油であり、三橋敏雄が買いに行ったものは「むかしの油」である。たとえば…

雲林院界隈駐車嚴禁のひるや荒鹽の香の西行。塚本邦雄が昭和五十年(1975)に出した歌集『されど遊星』三百首の内の一首である。北大路通を挟んだ大徳寺の南東に、雲林院という名の小寺があるが、雲林院は幻の寺である。平安の末から源頼朝の鎌倉が始ま…

四条通は、八坂神社の朱塗りの西楼門から色合いの変わる繁華な町を貫(つらぬ)き、右京梅津の長福寺までほぼ真直ぐで、この位置から桂川に架かる松尾橋までやや南に傾きながら繋いで終わる。松尾橋の西詰には、松尾大社(まつのおたいしゃ)の大鳥居が構え…

雲ケ畑(くもがはた)という地名は、繁華な町中(まちなか)よりも遠い町外れの名に相応(ふさわ)しく、賀茂川を遡(さかのぼ)って辿り着く、川淵にオオサンショウウオの棲む洛北の山間(やまあい)の地区の名である。この地名の由来の一つに、出雲が絡ん…