誰もいない、という言葉には嘘が含まれている。誰もいないと辺りを見て思う者がそこにいて、ここ渡月橋が架かる桂川の川縁の駐車場に係の者が二人、警備の者が一人いる。あるいは金閣寺の参道口に警備の者が二人いて、奥の駐車場に係の者が一人棒を持って立…

「対岸の桜」という小説がある。向こう岸をいう「対岸」は火事という続き言葉を持っている。鴨川の向こう岸で火事があった。燃えたのは一軒の古本屋である。「隔岸観火」は、火種を抱えた敵の自滅を待つ戦略だという。十一月の半ばを過ぎたその日は小春の陽…

西賀茂の京都市営小谷墓地に、北大路魯山人(きたおおじろさんじん)の墓がある。墓地は毘沙門山の裾にあり、山は京都ゴルフ倶楽部のゴルフコースになっている。魯山人の墓は山裾を上った日当たりのいい外れにあり、墓石には「北大路家代々之靈墓」と彫られ…

日常を過ごす中で、がらんとして何もない部屋に立つ時、その者はこののちその部屋を借りるのかもしれず、あるいは中にあった家具などすべて外に運び出し、最早鍵を掛けて出てゆくばかりのところかもしれぬ。もし忘れもののないよういま一度見廻したところで…

数本の早咲きの白梅や蠟梅(ろうばい)や寒桜やシナマンサクが咲いたぐらいで、立春を過ぎた京都府立植物園に人が大挙してやって来ることはない。広場の芝生は枯れ、菖蒲池の水は抜かれたままで、薔薇園の薔薇は刺さった棒のように剪定され、これから種を蒔…

節分の厠(かわや)灯してめでたさよ 篠原温亭。この厠は外厠であろう。一家の主(あるじ)が一年に一度の、家族総出の「騒動」を了(お)えて厠に立った。思わずも高揚した気分は、出す小便とともにしみじみと静まってゆく。めでたさは連綿と続いてきた行事…

年末が近づくと町内会を通して、「平安神宮守護」という札が配られる。これは京都府下の住民は皆平安神宮の氏子であり、この一枚の札により諸々から皆を守護するというものである。「明治二十五年(1892)の初め、文明評論家・歴史家として著名な田口卯…

浄土宗の開祖法然、法然房源空の幼名は勢至丸(せいしまる)という。勢至は勢至菩薩の勢至であり、勢至菩薩は智慧をもってすべての生きものを救い導く、阿弥陀如来の脇侍であり、阿弥陀如来のもう一方の脇侍は慈悲をもって救う観音菩薩である。法然は建永二…

川端茅舎(かわばたぼうしゃ)に、都府楼趾(とふろうし)菜殻焼く灰の降ることよ、の句がある。この都府楼趾は筑紫大宰府の趾のことであるが、その都府楼趾とはだだっ広い叢(くさむら)に礎石の散らばるばかりのところである。京都の南を流れる木津川沿い…

つげ義春の漫画『無能の人』に、石を売る話がある。多摩川の河原にボロ布で小屋を掛け、棚や足元に赤ん坊の頭ほどの石を並べ、中で身を縮めるようにして男が店番をしている。男は己(おの)れの描く漫画に行き詰まった漫画家である。小屋を通りがかった者が…

刈稲を置く音聞きに来よといふ 飯島晴子。田圃に実る稲穂の実物を、見ることも触ることもないまま一生を終える者はいるかもしれない。海から大網を引き上げる時の漁船の揺れや、屠殺場の豚の悲鳴を知らない者はそれ以上にいる。変わった句である。刈った稲を…

アーユージャパニーズ。目が合って一方的に話を始めたその者はその前に、あの氷のようなものは何を意味しているのか、とひとり言のようなものいいで云った。首に身分証をぶら下げた七十前後の痩せた小柄な女である。その氷のようなものは、山門の石段に伸び…

太秦蜂岡の広隆寺に国宝弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)がある。「十一月(しもつき)の己亥(つちのとのゐ)の朔(ついたちのひ)に、皇太子(ひつぎのみこ、厩戸豐聰皇子(うまやとのとよとみみのみこ)、聖徳太子)諸(もろもろ)の大…

蛇いちご魂二三箇色づきぬ 河原枇杷男。昭和四十八年(1973)青木八束は小説「蛇いちごの周囲」で第三十六回文學界新人賞を受賞し、その年の第六十九回芥川賞の候補になるが受賞しなかった。青木八束は、脚本家田村孟の筆名である。昭和四十四年(196…

昭和四十二年(1967)立命館大学の一回生だった高野悦子の、六月十五日の日記に紫野大徳寺の塔頭大仙院が出て来る。「きのう長沼さんと山川さんと酒井さんとの四人で大徳寺へ行く。黄梅院と大仙院をみる。季節はずれらしく人がいなかった。黄梅院の庭石…

鳥羽城南宮の門前に店を構えるおせきもちの折りに添えられる栞に、「江戸時代この地に「せき女」と申す娘が居て、その大道(鳥羽街道)をのぼって来た旅人に茶屋を設け、編笠の形をした餅を笠の裏にならべて、道ゆく人に食べさせていました。大変心の美しい…

江戸の絵師鈴木春信に、「夜の梅」と題する錦絵がある。暗い夜に手摺りのある張り出しの上に細い目の振袖姿の娘が立ち、振り向く様で頭上に伸びる白梅の枝に手燭をかざしている。あるいは「風流四季哥仙、二月、水辺梅」は、若い男が神社の朱い柵の上に登り…

繁華な市街、高辻通室町西入ル繁昌町に繁昌神社がある。朱の板囲いの立つ、大人が並んで五六人も詣でれば動きが取れなくなるような境内である。その高辻通に面して立つ鳥居の傍らに、京都市が書いた駒札が立っている。「繁昌社(はんじょうしゃ)。繁昌社の…

阿呆と煙は高いところを好む、あるいは高いところへ行きたがるという時の煙は、火によって燃えたものが二酸化炭素まで変じなかった炭素の姿であり、その火によって出来た上昇気流に押し上げられ、高いところを好むと云い表せば、生きもののようにも目に映り…

元日に届いたある者の賀状に、謹賀新年まだ京都ですか、とあった。含みのある言葉である。もしかするとこの宛先の主は住まいが変わっているかもしれないと、賀状をしたためながらこの者の頭を掠(かす)める。平成三十年の賀状は確かに京都の住所から届いて…

円山公園を背に、飲み食いや雑貨の店が立つ繁華なねねの道を南に下(さが)ると、左の塀が途切れて、石段が現れる。上(のぼ)った先には高台寺(こうだいじ)があり、石段は台所坂と呼ばれている。物売りに目も止めずやって来た白人の、リュックサックを背…

紅葉が終われば、末枯(うらが)れが目につくようになる。街中の寺の庭先でも、町家の失せた空地でも、鴨川の河原でも、東山三十六峰の山の端でも生えていた草木は、自(みずか)らの意思とも違うただならぬ変化を己(おの)れに齎(もたら)し、雨風に砕け…

そのどちらもその木の名前を知らないようだった。硬い緑の葉の繁る枝に黄色い実が幾つも生(な)っている。蜜柑の一種のような実である。これは食べられへんのどすか、と初老の男が手押し車で身体を支えている老婆に訊く。昔もろてジャム拵(こしら)へまし…

「此世は自分をさがしに來たところ 此世は自分を見に來たところ」あるいは「物買つて來る 自分買つて來る」「おどろいて居る自分に おどろいて居る自分」これらは陶芸家河井寛次郎(かわいかんじろう)が書き残した言葉である。(『いのちの窓』東方出版20…

洛西小倉山にある二尊院のニ尊は、その本尊である釈迦と阿弥陀のことである。中国唐の善導の『散善義』に、「二河白道喩(にがびゃくどうゆ)」という喩(たと)え話がある。「人が西に向かって行くと、忽然として二つの河に出会う。火の河は南、水の河は北…

白河夜船(しらかわよふね)という言葉がある。この言葉は四つの漢字から成り立っており、それぞれの漢字にも、その漢字を組み合わせた言葉にもそれぞれの意味を持ち、しらかわよふねといま読めば、白い河と夜の船あるいは白い河に浮かぶ夜の船という意味で…

緑蔭をよろこびの影すぎしのみ 飯田龍太。緑蔭は単なる木蔭ではなく、空間としての広がりを持ち、太陽が位置を変えても、その空間の大方は保たれ、緑蔭を乞うのは夏であるから、緑蔭を通して見る外の世界は燦たる日光に個々の輪郭を失い、緑蔭が深ければ、内…

ジム・ジャームッシュの日本の公開が2017年の映画『パターソン』のパターソンは、アメリカ・ニュージャージー州にある市の名であり、市営バスの運転手をしている主人公の名でもある。パターソンは、朝六時過ぎに目を覚ます。同じベッドの傍らに妻が寝て…

生まれ育った町にある二つの神社の例大祭は七月二十四、二十五日に行われ、神輿が出、後には町内各地から笛太鼓の山車も出るようになったのであるが、子ども時代の祭りの記憶は貰った小遣いを遣う露店と境内でやっていた民謡のど自慢であり、そののど自慢の…

停滞し続けた梅雨前線により、数十年ニ一度ノ大災害ガ起キルゾと皆に迫った、コレマデニ経験シタコトノナイヨウナ大雨が京都にも降った。桂川に架かる渡月橋の橋脚が濁流に飲み込まれ、橋の北詰から小倉山に沿う参道にも泥水が溢れ出て、境の印だった街灯が…